私は、海外ノマドとしてWEBライターの仕事をしながら世界中を徘徊しています。

パソコン一つあればどこでも出来る仕事なので、オーストラリアやヨーロッパ、アジアまで、気になる国々に滞在、生活してきました。

 

世界中が職場であり、住処であり、遊び場の私。

行動しやすさを求めた結果、気づけば荷物はたったの10kg。

一見不便ですが、物を減らしたおかげで得たものもたくさんあるんです。

私が持たない暮らしになるまでの過程と、結果、得たものを紹介します。

 

 

海外生活のスタートはモノに支配されていた

 

私は最初からモノが少なかったわけではありません。

社会人を辞めて、ワーキングホリデー制度で海外に飛び出した私。

当時は無職、すべてが不安でたまらず、30kgの荷物とともに出発しました。

 

それまで海外にほとんど出たこともなく、コミュニケーションも自信がないので、とにかく物を持つことで安心したかったのだと思います。

英語の参考書、日本製品に大量の洋服。

ようやく目的地に着いたときには、荷物の重さでヘトヘトでした。

 

これらのモノは、肉体だけでなく精神的な自由も奪います。

「参考書を持ってきたから勉強しなきゃ」

「洋服も持ってきたしオシャレしなきゃ」

 

便利で選択肢が増えているように見えて、実際は逆。

モノがあるからこそ、「〜しなければいけない」という気持ちに支配され不自由になっていたのです。

 

ある日、自分が「持っている」肩書やモノのせいで奪われているものがあると、ふと気づいたのです。

その瞬間、すべてを手放す決意をしました。

 

 

持たない暮らしは不便だった、それでも幸福度は上がった

リュック

 

当時2年弱住んでいた国を離れ、仕事も手放し、「持たない暮らし」を目指した私。

30kgあった荷物は10kgになりました。

服は3〜4着。日本製の便利な家電もないし、生活用品も現地調達です。

 

こんな暮らし、もちろん不便です。

服は手洗いすることも多いですし、深夜に宿に着いたのにシャンプーがない、なんてこともザラ。

 

ただし、不便な代わりに生活は幸福になりました。

こんな生活を続けていて、似たような仲間が集まるから、出会う人みんな「何かが足りない」んです。

そうなると、モノを貸し借りするなかで自然なコミュニケーションが生まれていきます。

不便な暮らしをする人は助け合いが当たり前、人とのつながりが強くなります。

 

例えば、私がエストニアのホステルに1ヶ月ほど滞在していたときのこと。

そこは、私のようなフリーランスが世界中から集まる環境。

最初は馴染めるかどうか不安もありました。

 

しかし、ディナータイムに入って安心します。

そこでは、調味料や食材の貸し借りが当たり前だったんです。

 

「私は塩コショウを持っている」

「私はオイルを貸せるわ」

「僕は何も持ってないからビール買ってくるね」

 

気づけばみんなで一緒に料理を作り、食卓を囲むことに。

10代から60代まで幅広い年代、様々な国籍の人がたったひと晩で仲良くなれたのは、みんなで協力しながら同じ釜の飯を食ったから。

 

これは料理に限ったことではありません。

ペンがないとかUSBがないとか、誰かが困っていると、持っている誰かが貸すという生活。

結果、お互いを深く理解し合い、家族のような絆が生まれました。

もう半年ほど前の話ですが、今でも当時のメンバーとは連絡を取り合っています。

 

 

持たない暮らしはなぜ幸福なんだろう?

 

エストニアの例に限らず、荷物を減らしてから明らかに幸福度が上がりました。

お金持ちでたくさんいいものを持つことが幸せだと思っていた過去からすれば、我ながら驚きの事実です。

なぜ持たない暮らしをしている今が幸せか考えると、大きく分けて3つの理由があると思います。

 

 

コンプレックスを受け入れられるから

私にとってモノを持つことはコンプレックスを隠す手段の一つだったと思います。

今思えば、仕事に自信がないから本を買い、容姿に自信がないから服やジムに入会したりしていました。

モノを買えば、自分のイヤなところに蓋が出来ると無意識に思っていたのでしょう。

 

今は、そんなコンプレックスや不安も「そういう自分もいる」と受け入れられています。

本当に必要があることだけ勉強したり努力したりしますが、基本的にありのままでいいと思えるようになりました。

 

 

自分の心に素直になれるから

持たない暮らしをすると、感情に素直になれます。身軽だから、やりたいときにすぐ挑戦できるんです。

これはもちろん、いつでも移動できるという肉体面もありますが、それ以上に精神的に身軽になったことが大きいと思います。

 

「持たない」ために常に取捨選択しているので、いらないものを無理やり受け入れる事もなくなります。

このような選択を繰り返すと、自分の好き嫌いや価値観がどんどんシャープになってきて、本当に好きなものだけがやってくるようになりました。

 

 

今に集中できるから

10kgのバックパックでは、将来のためのストックを持つ余裕はありません。

いつかはやってみたいこと、時間があればすべきこと、それらをとりあえずキープすることが出来ないのです。

 

結果、今するか・しないかということだけに向き合えます。

今一番良いと思える選択だけにフォーカスするので、当然今の幸福度は上がりますよね。

将来のことを考えるときも「今始めないと後悔するかどうか」、現在起点で考えられるようになったので、未来のために我慢することがなくなりました。

 

 

持たない暮らしで得たもの

 

どこでも移動できるフットワーク

場所やものに縛られなくなったので、いつでもどこでも行けるようになりました。

景色がきれいな場所をネットで見たらすぐに予約できますし、仕事相手と対面で話したくなったら帰国することもできます。

 

 

人間らしいコミュニケーション

持たない暮らしになってからコミュニケーションが増えました。

話すのは、モノを借りるときだけではありません。

限られた荷物で生きているからこそ、一つ一つの選択を吟味するので人のアドバイスを前以上に聞くようになりました。

そして、同じような人の役に立ちたい思いから、前より自分自身が親切になった気もします。

 

 

本当に必要なものを選び取る感性

物が少ないからこそ、選ぶことに敏感になります。

この暮らしをしていて自分は何が好きで、何が必要なのか、前より理解できるようになりました。

その結果、選び取ったものはすべて愛着があり大切なものばかり。人・モノ・仕事すべて「好き」で囲まれています。

 

そんなわけで、私が持たない暮らしをするまでの過程や、今の状況をシェアしてきましたが、私は「自分の生活が最高だ!」というために筆をとったわけではありません。

幸せのカタチは人それぞれ。

 

ただ、かつての私がそうだったように、モノのせいで行動が制限されていたり、プレッシャーを感じたりしている方がいるのなら、思い切って手放すことにきっと意味があります。

この機会に自分を縛るモノを手放して、幸せな暮らしができる人が増えたらいいな、と思います。

 

文:はらちあき(30代、海外ノマドWEBライター)