私は大学生の息子と中学3年生の娘と暮らすシングルマザーです。
娘は中1の1学期の中間テストが終わってから、パタリと学校に行けなくなりました。
仲の良い友人たちが他中学に進学してしまったこともあり、友人関係構築に難儀している様子も感じましたが、“一人でいるのが楽”とも言っていたので、そのまま見守っていました。
でも、それまで通っていた塾も辞めたいと言い出し、家でも全く勉強をしなくなりました。
それでも中間テストでは上位10%に入る成績だったので、その時はまだ深刻に心配はしていなかったのですが。
ある日突然子どもが学校に行けなくなったら……。
今回は実際そのときに私がしたこと、しなかったこと、そしてその結果のお話です。
娘が書いた突然の手紙 “学校に行けない”
5月末のある日の朝。
登校の時間になっても自分の部屋に閉じこもったまま出てこない娘に疑問を抱いていると、テーブルの上に彼女が夜中に書いたであろう手紙が置かれていることに気づいたのです。
その手紙には「体育の授業で〇〇にからかわれたのが本当に嫌だった。学校に合わないし、行きたくない。ママは私をわかってくれないし、尽くしてくれない。今日は学校を休みます。」
という趣旨の内容でした。
私はその日出張でしたが、熟慮しながら娘に返事を書き、仕事へ出かけました。
私からの返事。すれ違う娘の反応
以下は、そのとき書いた私が書いた、長い長い娘宛の返事です。
手紙を読みました。休みたい理由はわかりました。
今日は学校を休めばよいと思います。ママは今日出張なので夕方までいません。
昼ご飯は冷蔵庫の中のものを食べてください。ご飯は炊飯器にあります。お皿は洗っておいてください。
ただし、次のことを伝えたいので、読んでください。
もし、難しいなと思ったら、わからなかったところを伝えてくださいね。
ママはあなたに「尽くそうと思っている」気持ちはあります。
ただ、その意味をあなたが正しく理解しているかどうかわからないので、書きますね。
尽くす、とは「惜しみなく愛情を注ぐ」ことです。
あなたの意見や要求を、ただ盲目的に飲むことではありません。
気持ちを聞き、様々な意見のやり取りをした上で、寄り添いながら、より良い未来へ子どもを導くのが親だと思っています。
愛情があるからこそ、あなたが将来自立できる、豊かな人間性を持つ人になって欲しいと心から願います。
誰にも未来はわかりません。
様々な楽しいことも困難もあります。
その中で大人になる、とは、自立し、自分の行動に責任を持ち、できれば、素敵な人との関わりを持って生きることだと思います。
自立すること=自分で自分を食わせること。
それを実現するには知力と体力、他人に思いを伝える表現力が必要で、自分の得意で好きなことをお金に変える行動をとらなくてはいけません。
ただ考えているだけでは、生きていくためのお金は、財布に入ってこないのです。
学校というのは、そのように経済的に自立できるようになるため、また、人として幸せに生きる力を育てるための場所です。
学校を出て、大人の社会に進むと、想定外のことはたくさん起きます。
そんな社会に出る前の「準備の場所」です。
学校や家では先生や親は、成長途中の子供を守っていますし、その沢山のサポートの中で、社会を生きるために必要な学ぶ力を得るための場所です。
あなたも知っているように、世界には子供が教育を受けられない場所が沢山あります。
日本はとても恵まれた環境だということも知っておいてください。できることならば、その限られた期間の学ぶ権利を受け止めて、学んで欲しいと思います。
ただ、今回のように、それをするには辛い出来事もあります。
ママも中1の1学期が始まってすぐに転校したので、最初はよくいじめられました。
それで2、3日具合が悪いと言って休んだ覚えがあります。でも、その後は学校に行けました。
なので、今回のように休むことは悪いことではないと思っています。
心や体がしんどければ休んでも良いです。ただ、学びは止めてはいけません。
そして家にこもって、ただ座っていると、子供でも身体の機能はどんどん劣化しますし、それも心配です。
まず、空いた時間に家事をお願いします。
①部屋の雑巾がけ:テーブルの上の古いタオルを使ってください。
②晩御飯の買い物と料理をお願いします。2千円置いておきます。
何が食べたいかメニューを考えて、材料を買ってみてください。料理は夜一緒にやっても良いですが。食器洗い洗剤もないので、買っておいてね。
最後に、自宅学習をすること。
今日やる予定の箇所の教科書を読む、復習をするなどしてくださいね。ママより
不登校の子どもとの生活、自分と向き合う辛さ
出張前のバタバタした時間に、こんなにも長い手紙を書くのはもちろん簡単ではありませんでした。
でも、私なりの精いっぱいの気持ちをここで伝えれば、やり直せる、事態はすぐに改善されると思っていたのです。
でも。
結局この日から、中3の2学期が終わろうとしている現在まで、娘が学校の授業に参加することは一度もありませんでした。
娘の中では、もう中学校には行けないし、行かない、とこのときすでに腹を決めていたような気がします。
体育の時間に娘がからかわれたことについては、先生が丁寧に対応して下さいました。
が、それはただのきっかけであり、学校に行けなくなった理由はもっと根深く、長い間かけて醸成されたものだということわかったのはこの後のこと。
それから2年半の間、娘とお互いに分かりあい、より良い関係を続けていく為に(学校に行けるようになるためではありませんでした)何度となく親子で話し合い、行動し、葛藤し、喧嘩もしました。
ある時は言い合いになり、私の思いを解ってくれない娘に対して悲しくなり、泣いて私が車で家出したほど。
もっとも、その時に連絡した近所の友人宅の誘いで、お茶を頂いていたところ、出先を知らないはずの娘が当たりをつけて迎えにきたので強制的に家出は数時間で終了となったのですが(苦笑)。
今この手紙の内容を振り返ってみると、私の娘に対する気持ちは変わらないけれど、本当に娘を理解していたとは言い難かった部分が多々あります。
大人にとっての正論を振りかざしたところで、それを実行するエネルギーがない子どもに対しては、意味のないことだったのです。
うちの娘の場合、学校に行けなくなった原因の一つは、長い期間の中で失われてきた自己肯定感だと思います。
その理由の詳細はここでは書けませんが、娘は幼い頃から年齢の割にしっかりしていました。
細かいことによく気づき、先生からもよく褒められ、手がかからない良い子、という印象しかありませんでした。
だから、彼女の心の深い場所がそんなにも損なわれていることに気づかず、その徴候にも“一時期のものだろう、すぐ良くなるはず” と、私はたかをくくっていたのです。
娘は私の手紙を読み “やっぱりママは分かってない…”と失望していたようでした。
これまで色々な育児・教育本を読み、知識で武装していたつもりだった私は、目の前の娘が、一体どんな辛さ、苦しさを抱えて学校に行けなくなっているのかについて、想像力が全く足りていなかったのです。
子どもが不登校になったとき、多くの親が自分の子育ては間違っていたのではないかと自分を責めます。
でも、大抵の親は自分たちなりに懸命に愛情を注いで子どもを育ててきており、親の関わり方が致命的に悪影響を与えているケースはごく一部だと、個人的には感じています。
じゃあ、いったいどうしたらいいのでしょう。
不登校でも外に出て、他者と関わる
その後、暫くは私自身も娘の将来への不安から落ち込む日も続きました。
在宅勤務だったため、昼ごろに起きてきて家にいる娘と24時間一緒にいる時もあります。
外に出れば部活帰りの中学生を目にすると“なんで娘は行けないのだろう”と悲しくなりました。
でも他の子供たちと比べることは、何の意味もなしません。
それから2年半の間、娘の希望で医療機関にも何箇所も通いました。
ドワンゴとKADOKAWAが共同経営するスクール「N中学」にも一時期入学しました。
また、地元中学の先生方、スクールカウンセラーさん、市の適応教室、教育カウンセラーさんには、今現在も大変お世話になっています。
2、3年時の担任のW先生は、“プリントを渡すからおいでよ”と毎週必ず声をかけてくださり、学校に全く足が向かないことのないように気を配って下さいました。
また、2年弱、月2回通っている市のカウンセラーさんとのカウンセリングは、私たち親子にとって、医療機関よりも必要なものだと思っています。
定期的に親子別々に、不安や悲しさを吐き出せ、共感やアドバイスをもらえる機会を頂けたことは(しかも無償)、何にも変えがたい、価値ある時間でした。
親が子どもと向き合うのが辛くなった時、その怒りや不安、悲しさを子どもにぶつけることのないように、信頼できる他者を頼るのは必要なことだと思います。
子育て全般に通じることだと思うのですが、問題が起きたら親だけが抱え込まないこと、「孤立しないこと」が、とっても大事だと感じています。
私は娘がずっと家にいるのも良くないと思い、毎週末1日はドライブに誘い、親子でリラックスできる時間を作るようにしました。
電車が苦手な娘は車だと安心して色々話してくれました。
また弟家族と一緒に行った海外旅行も含め、国内旅行にも多く行きました。
子どもが望む時は、友人との食事会や旅行にもしばしば連れて行きました。私以外に関わってくれるあたたかな大人の存在が、彼女の心を少しずつほぐしてくれたのではないかと思っています。
学習について
学習面の遅れについての心配は、今でも抱えています。
でも、さまざまな体験談、教育関係の方からは、”遅れは取り戻せますよ”と、一様にアドバイスされました。
まずは学習に向かうエネルギーがない状態を徐々に戻す必要があります。
娘も長い間かかりましたが、ようやく学習に前向きになり、好きな数学は塾で数ヶ月のみでほぼ3年間分の学習を終えることができました。
今年11月には高校への入学も決まり、今は他の科目の勉強も、少しずつ始められています。
中学校は1日も出席していなくても卒後資格がもらうことができますので、通信制などの高校に入ってから中学分の学習内容は取り戻すことができます。
義務教育中の公的サポートは非常に大きいので、お子さんが登校を渋るなどがあった際は躊躇なく学校や自治体の教育支援担当課にご相談されると良いと思います。
もしもご自分のお子さんや、周囲の方で不登校のお子さんを持つ方がいたら、ぜひ長期的な視野と気持ちでいて欲しいと伝えたいです。
具体的なアドバイス、知っておいた方の詳細ついては下のリンクから私のブログをお読み頂けたら幸いです。https://note.com/sanna/n/n556ad14703d6
思春期の只中でも、親にSOSを出すことができた娘、戸惑いながらも兄である息子と一緒にサポートを続けた私。
衝突も多くありましたが、この2年半の経験が家族というチームの絆を深め、親子関係をより強固なものにしたと感じています。
文:sanna
1970年生まれ
神奈川県のいい感じの田舎在住。在宅勤務4年目。英語が苦手な外資系メーカー勤務のデザイナー。
大3、中3の子どもたち、グレーのうさぎと暮らすシングルマザーでもあります。
ゆるめのミニマリスト。料理好き、読書好き。Kindleのせいで本、漫画をポチしまくりの日々。
クルマで3ヶ月くらい旅に出たいのが最近の願望。
Twitter:https://twitter.com/scrambler37
note:https://note.com/sanna