突然ですけど、命の終わりを意識することなしに、充実した人生は送れません。

永遠に生きていられるとどこかで思っているからこそ、ダラダラしてしまうのです。

はい、私のことですけど。

 

といっても、私はいちおう40代なので、人生は半分来たばかり。

まだ早いかもしれませんが、終活について考えていきたいと思います。

 

 

終活でしんどいのはきっと「体」ではないか

 

終活って、棺桶に入ってみたり、ものを整理したりと、そうしたイベント的な側面がありますよね。

私も部屋のものを減らすのに、とても苦労しています。

パートナーはコレクターで、「終活をしなさい!」といっても「無理だから任せた」といってきます。

彼が持っているフィギュア、ブランド品、Tシャツ、スニーカー、G-shock(腕時計)…。

もし彼に先立たれた場合、そのすべてが、私に託される予定です。

 

つまり、私は老後、自分の荷物だけではなく、彼の荷物も片付けながら、動きづらくなった体を引きずって、二人分の荷物を片付けながら生きていかなければならないのです。

これはきついなとちょっと思っています。

だって、老後は何より体が動かなくなります。

そしていろいろなことが面倒になってくると思うのです。

 

40代のいまでさえ、フリマアプリのメルカリに出品するのが面倒だなと思ってしまいます。

持ち物は少ないので、書籍と服と化粧品ぐらいなのですが、服は捨てる方向に進んじゃいます。

本だって、結局売れて数百円なら、別に売らなくてもいいやと思ってしまうのです。

今ですらそうなのですから、老後、不自由な体で転売などは難しいでしょう。

 

 

終活は捨てるだけじゃない

 

終活って、捨てるだけが目的じゃないと思うんですね。

何かというと「心のこびりつき」を知るためのものだと思うんです。

たとえば、キッチンに残っているジャム缶。

とてもおしゃれですけど、ジャム缶をあの世に持っていきたいとは思わないですよね。

一方で、私のパートナーは、Tシャツとスニーカーを「あの世に持っていきたい!」と騒いでいます。

 

終活とは、そうした、自分の心が何に執着しているのかが詳らかになるいい機会です。

ただ捨てるだけじゃなく、何が残るか。その残ったものこそが、自分の囚われであり、執着ではないでしょうか。

 

 

「書いて暮らす」の現状

前回の当コラムで、私は書籍に執着があり、それは「書籍を並べることで、退屈な人生から目をそむけようとしている」という米国ミニマリストの指摘をご紹介しました。

 

書いて暮らす、コラムを書いて、みなさんに読んでいただき、その対価で暮らす、これは多くの人の憧れではないでしょうか。

しかし、書いて暮らす人生もそれはそれで、刺激に欠けるものです。

 

もしかしたら、旅をし続け、コラムを書き続ければ、面白い話が書けるのかもしれませんが、実は世界を旅してコラムを書きたいという人はとてつもない競争倍率なのです。

引きこもりでコラムを書きたいという人よりも、世界を旅しながらコラムを書いて暮らしたいなと思う人のほうが多いと思います。

 

しかし、世界を旅しているうちは、どうしても「旅している自分」に陶酔し、あまり良い文章が書けないのではないかなと思います。

先進国かつ固定観念の強い日本に生まれて、世界に出て感じることは、たいてい同じでしょうから、ユニークさに欠けるのです。

それなら、引きこもりから見た世界を書くほうが面白いかもしれません。

 

 

生涯「書いて暮らす」を実現するには?

では、生涯「書いて暮らす」を実現するには何が必要でしょうか。

ひとつめに、孤独な時間です。

なぜかというと、面白さ、ユニークさとは、物珍しさの別名だからです。

みたことがない世界をみせてくれるから、あなたは好きなコラムニストの文章を読むのではないですか?珍しいこと。

非常に稀であること。あなたがもし、どこかで非常に尖った資質を持ち、何かの分野で孤独であるなら、コラムニストの才能があるかもしれません。

 

そして、生涯に渡って孤独であるなら、きっと生涯に渡って、書いて暮らす生活は実現することでしょう。

愛に満たされ、友情に満たされ、人生に満たされている人に、コラムは書けない…少なくとも、面白い文章は書けないのです。

 

ふたつめは、物質的なあれこれを追い求めないことです。

たとえば、スニーカーやTシャツといった、無限にコレクションしてしまうもの。

物質的に満たされている場合も、文章にキレがなくなる気がします。

 

少し欠けている、飢えている、欠乏がある、これが文章を書いて暮らすために必要なことだと考えます。

私はnoteというコンテンツ販売サービスで文章を売っていますが、やはり何かが欠けている話はよく読まれます。

そして、何かが欠けているからこそ、上昇したいと願う文章にはとても強いパワーがあることを実感します。

 

 

終活で人生の終わりを意識して

終活

 

よく「今を生きよう」という呼びかけがあります。

人生を充実させるには、たしかに今を生きることは大切です。

 

と同時に、終わりを意識することも大切ではないでしょうか。

これから終活のために、少しずつものを処分し、整理整頓された部屋に住んでいきたいと思います。

着られなくなったり流行遅れになったりした洋服は捨て、紙の書籍は執着せずメルカリに出して、ブランド品もそこそこにし、健康的な人生を歩もうと。

 

といいつつ、先日、老後の資産形成で株を買おうとし、みんな株主優待を狙っているので、私もついつい欲しくなりました。

株主優待は、結局いらないという結論に達したものの、ぬいぐるみがもらえる優待がどうしても羨ましく、メルカリで優待品を買ってしまいました。

 

何をやっているのでしょうか、私は。

ただ、その後で株価が大きく下落したので、株そのものを買っていたらぬいぐるみ代金以上の損失が出たと思います。

ぬいぐるみをみるたび、私は賢明な判断をした、と思い込むようにしています。

 

(終)

 

 

文:名もなきライター(40代・フリーランスライター)