昨今のコロナ禍でも注目されている断捨離。
あなたがモノを手離せないのはなぜ?
理由がわかれば、断捨離のコツがわかるはず!
断捨離できない理由と対策を、タイプ別にまとめてみました。
1)コロナ禍で実感。ストレスフリーな生活環境の大切さ
新型コロナウィルス感染症の流行によって、日常生活が大きく変化した今春。
長く続いた自粛生活で、家の大掃除や断捨離をしたという方も多いのではないでしょうか。
今後もウィズコロナ(コロナと共に生きる新社会)の新しい生活様式として、自宅で快適に過ごすことへの工夫に注目が集まりそうです。
不要なモノを手離すと、家だけでなく、なんだか心もスッキリしますね。
断捨離のすごいところは、モノを手離すとリラックスしたり思考がクリアになったりして暮らしやすくなることです。
「家の中で快適に過ごすには、もっとモノが少ないほうがいい」
そんな風に考えているひとは多いのに、どうしてモノを手離すことが難しいのでしょう。
モノを手離せない理由は様々ありますが、大きく分けるとこの3つのタイプがあると感じています。
2)断捨離できない理由とは
(1)想いを重ねたモノを手離すことへの罪悪感
わたしも経験があるのですが、大掃除を始めたのに、戸棚の奥から昔の思い出の品が出てくると、そのときの感情が蘇ってしまって貴重な時間があっという間に過ぎてしまった…ということはありませんか?
モノには【過去】があります。
「高かったから手離せない」
「○○さんからいただいたモノだから捨てるのは申し訳ない」
「子どもが小さい頃の作品は成長の証だから捨てられない」
モノ自体には意味はないのに、自分のもとにモノがやってきたときの何らかの想いが、ずっと残っているのです。
このように、モノに対して過去の何らかの想いを重ねて執着してしまうことが、断捨離できない原因のひとつではないでしょうか。
モノに思いを込めたり、それを大切したりすることは素敵なことですが、忘れてはならないのは、過去のモノを迎え入れたときの自分と、今の自分とでは少なからず変化している、ということです。
例えば、どうしても欲しくて購入したブランド品。
今はもう好みではなかったり、年齢にそぐわなかったりして使えないとしたら、自分にとってそのブランド品は、購入当時よりも価値が下がっているということです。
「高かったから」という理由で手元においているのは、手離したら購入金額分の損をするような気がしてしまうからかもしれません。
ならば、売ってお金に変えて、検索してでも欲しがっている方に譲れば、またそのブランド品は価値を有することができます。
いただきモノは相手に失礼だから捨てにくいという方が多いと思いますが、「好みじゃない」「使わない」という理由で収納の奥底にしまい込まれて忘れ去られている、というのは、失礼には値しないのでしょうか。
ここで勘違いしてほしくないのは、モノをいただく喜びや感謝は、相手がプレゼントしてくださる想いや行為そのものに対して抱く感情であって、いただきモノを持ち続けることが礼儀、ではないということです。
つまり、プレゼントへの感謝の意と、そのモノが自分の好みである・ないということとは別問題なのです。
様々なシーンのプレゼントが、100%自分の好みであることは難しいですし、そのとき必要なモノでも時間の経過や成長、心の変化で不要なモノになってしまうことは往々にしてあることです。
相手が自分のためにプレゼントを選んでくれたことへの喜びと感謝は、いつまでも心に遺る温かい感情です。
その感情とモノとを区別すると、後ろめたく感じることなくモノを手離すことができるのかもしれません。
「子どもの成長を感じる作品」も捨てられないモノの代表です。
これに関しては、わたしはmyルールを決めています。
・実物として残すのは厚みのない平面のモノ(絵や文字を書いた紙)であること
・実物を残すのは思い出ファイル1冊に入る分だけにしておくこと
・立体の作品や思い出ファイルに入れない平面の作品は子どもに持たせて写真を撮ってから破棄すること
我が家では、家族写真は【ノハナ】という写真アプリで管理していて、2か月に1回、21枚の写真をセレクトして1冊の薄い小冊子にまとめています。
このアプリでは、毎月1冊、送料(275円)のみで簡単に小冊子を作れるので、日常のセレクションの他、旅行や帰省で1冊にまとめたりしてとても重宝しています。
我が家はスマホでしか写真を撮らないのですが、データとして残しておいても、それを管理したり見るために引っ張り出したりするのが面倒ですし、結局そのままになってしまうのがオチです。
ベストセレクションとして冊子にして思い出を可視化しておくと、気軽に取り出しては家族で見ることができ、その中で子どもの姿とともに子どもの作品も写真で残しておけるのでオススメです。
(2)不安を解消するための所有欲
さらにこのコロナ禍で、備蓄することにも国民の意識が集まっています。
SNSでの誤情報によって、トイレットペーパーが一時的に品薄になり、開店前のスーパーやドラックストアに大行列ができたのは記憶に新しいところですね。
特にこのような社会情勢の中では、【ないよりあったほうが安心】という精神状態に陥りやすく、いつもよりも多くモノをストックしておく家庭が多いと思います。
このような非常事態の場合でなくても、わたしたちは普段、そんなに必要でないのに「なくなって困ったらどうしよう」という先の不安を解消するために、モノを持つ傾向があります。
「もしかしたら、そのうち使うことがあるのかもしれない。」
そう思ってなんでも溜め込むクセがあると、手離すこと自体が不安になってしまいます。
でもよく考えてみてください。
また使う日がくるかも…と大事にとっておいたのに、その存在を忘れてしまい、必要になったときには結局また新しいものを買っていたりしませんか?
ひとは、モノを管理することに時間と場所と労力を使っています。
そのキャパシティは無限ではないので、モノが溢れていると管理しきれないのです。
その代表格が【洋服】です。
着ている洋服には《お気に入り》が存在していて、だいたいよく着る服は決まっています。
それは、柄が好き、シルエットが好き、流行り、洗濯してもシワになりにくい、好きなブランド、など理由は様々だと思いますが、《お気に入り》の一軍がある一方で、二軍、三軍、それ以下の、《あってもなくてもどっちでもいい服》が存在しているわけです。
また着るかも…と思っても、結局着ることなくシーズンを終えてしまって、存在すら忘れている服はありませんか?
先にも述べましたが、わたしたちのモノの管理には限りがあります。
逆に言えば、管理しきれないモノたちに時間や場所、労力を奪われているのです。
靴下は10足も20足も必要ですか?
前のシーズンで袖を通さなかった服を、今シーズンで着ますか?
数年に1回程度しか着ないよそ行きのワンピースは何着も必要ですか?
「ないと困るかもしれない」と残しておいたモノで、探して助かった思いをしたことがある、という経験はほとんどないのではないでしょうか。
例え、なくて困ったとしても「あ、しまった」という程度ではありませんか?そんなに大変な悲劇ではないのです。
なくて困るかもしれない…という不安ではなく、【ありすぎて困る】ということのほうが問題ではないでしょうか。
(3)日々の生活だけで精一杯、という現実逃避
3つ目は、断捨離の必要性を感じているのに、それを見ないフリしてしまうというタイプです。
断捨離するには、モノに対する【要・不要】を見極めるために、自分自身とモノに向き合わなければなりません。
片づかない現実を直視するのは、片づけられないダメな自分を見ることになり、ついつい目をそらしたくなるものです。
モノを絞り込んで【要・不要】を選別するのは面倒くさいことですが、やってみると心が軽やかになり、居心地のいい環境を手に入れることができるのです。
3)まとめ
あなたはどのタイプに心当たりがありますか?
3つのタイプはそれぞれ独立している場合もありますし、もしかしたら3つが複雑に絡み合って、断捨離が進まない原因となっているのかもしれません。
シンプルな生活を心がけていて日々感じるのは、モノが少ない環境でも困らないということです。
むしろ、家全体に目が行き届いて家事もラクにこなせるし、自宅をきちんと管理できている自分に対して信頼感が増しています。
断捨離すると、自分に自信が持てる…とっても不思議ですね!
非常事態は緩和したものの、ウィズコロナの新生活様式が始まっています。
今一度、おうち時間と環境を見直す良い機会かもしれません。
文:麻衣子はん(30代・ミニマリストになりたいフリーランス)